自己紹介
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プロフィール
今年30歳の営業職のサラリーマン。
サラリーマンの給与収入をベースに、資産形成をしていこうと考えております。
基本的には株式投資がメインの予定です。
日々感じたことや考えなども発信できたらと思います。
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小学校 ~ 高校
東海地区にて小学校・中学校・高校と平凡な学校を卒業し、その後、東京の某法学部を卒業しました。
中学までは公立でしたので、自分の偏差値はよく分かりませんが、高校も大学も私立文系にて偏差値60程度という平均に少し毛が生えた学力でした。
勉強に関して、学生時代かなり苦労しました。
本来勉強が大嫌いであり、中学時代に多少の反抗期による基礎学力の欠如も大きな原因だったとは思いますが、周りの人間と自分を比較すると、人の1.5倍努力をしないと人並みの結果が得られなかった印象です。
高校時代、特に勉強に大変苦労しました。
推薦枠を利用して背伸びをして偏差値60程度の私学進学校に運良く入ることができたのですが、まずまったく授業に付いていくことができません。
それもそのはずです。中学時代はろくに勉強をせず、成績もオール2程度でした。
数学でいうと、<以上>と<それより上>の区別も分かりませんでした。
国語力もなく、教科書の小説や評論文を読んでも筆者の意図が理解できませんでした。
それもそのはず、中学時代まともに1冊も読破した記憶がありません。
私には学力どころか読解力も欠如しており、それが私の高校三年間を苦しめます。
進学校の授業はある程度の基礎学力を前提に大学進学へのカリキュラムを消化していくため、当然ですよね・・・。
高校一年生のときは中学の勉強を並行することによって、なんとか授業についていく。
二年生になり、学校のカリキュラムのみで授業についていけるようになる。
三年生になり、学校と塾で毎日猛勉強してなんとか大学に行くことができました。
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大学へ進学
大学は東京の大学を選択しました。
保守的な思考が強い東海地区では、感覚的な数値で全学生の90%以上が東海・関西地区の大学に進学します。
東海地区には国立大学は一通り揃っておりますが、私学のレベルがかなり低いです。
それは東海地区の保守的な国立信仰が生んだ結果だと思います。
しかし、関西に行けば関関同立があるため、ほとんどの学生は私学へ行くとしても関西で落ち着きます。
当然、両親は地元の大学への進学を望みましたが、私は関東の大学しか受験しないという強引な方法をとりました。
当時、常に劣等生であった10年前の私には、周りの人間と同じように自分が行ける学力の大学に実家から通学し、同じ情報量を4年間受け取っているだけでは、周りに負けてしまうという危機感があったからです。
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大学4年間
周りに身寄りもなく、誰にも頼ることが気でない環境で4年間自己形成ができたのは非常に貴重な経験でした。
毎日が選択の連続でした。家選びから始まり、友人の選択、アルバイトの選択、食費の選択、娯楽の選択、恋人の選択・・・
本来、地元の大学に進学していれば、4年間の学費以外の生活費は余分なコストです。
両親に東京へ行くことに猛反対されていたこともあり、学費に関しては必然のコストとして親に甘えましたが(自分で学費も支払われた方には申し訳ございません。)、生活費に関しては仕送りを断り、奨学金とアルバイトにて生計を立てておりました。
もし実家から大学へ通っていれば、年間約150万、4年間で約600万ほどのコストが発生していなかったでしょう。
今思えば、これが私の初めての投資だと思います。
私は自堕落で甘い人間でした。もし、実家通いだったら、両親に甘えた生活を送っていたのは目に見えております。
勉強嫌いな私が法学部を選択した理由は、学問の中で自分では決して勉強しない、いやできないであろうと考えたからです。
実家であればろくにアルバイトもしていなかったでしょう。
家に帰れば美味しいご飯があります。食いっぱぐれることも寒さに凍えることもありません。
食費を節約するために飲食店にてアルバイトをし、廃棄を持ち帰り冷凍したりしてました。家賃の安定的な確保と少しでも交友・娯楽費にまわすためです。
せっかく東京にいるのに、お金がなければ社会勉強をすることができません。ある程度の支出があってこそ、微笑んでくれるのが東京です。
そういった矛盾も、いい勉強の場となったと思います。
好きな友人としか交流することもなかったでしょう。自分を成長させてくれる人間との交流を避け、同種の人間と非建設的な不毛な話を毎日していたと思います。
自律心や向上心がある人間には必要のなかった投資ですが、私には人生を考えるための必要な投資だったと思います。